おとなとこどもの文化祭@綾瀬

こんにちは。ささやんです。

横浜(の田舎)生まれ、横浜(の田舎)育ちの私ささやんですが、現在住んでいる東京都足立区に引っ越してから一年と三ヶ月が経過しました。

足立区というと昔から「住みたくない街ランキング」でも1・2を常に争う全国大会常連校!僕も引っ越す前までは

ヤンキー多そうだなぁ

幼稚園のお友達の保護者とか怖そう

学力も低いっていうデータがあるし子育てには適さないんじゃ?

 

なんて思っていましたが、住めば都とはよく言うものでして、つまりその「思ってたより」少ないんですよね。ヤンキーとか元ヤンとかヤンママとか・・

これは「思ってたより」なので、あくまでも僕の元々抱いていた先入観と比較してということであり、実際に多いのか少ないのかは分かりません。

もちろん目黒とか世田谷とかのようないわゆる城南地区とかと比較すればそりゃ多い印象がありますが、きっと世間の認識と実際の足立区との間にはギャップがある!

そして東京の下町(足立区は下町と呼ぶべきかは議論が分かれそうなところですが)というだけあって、コミュニティの結束力が横浜よりも強いような印象を受けるんです。まぁ横浜といえども広いので一言で括っていいのか分からないですけどね。

 

そんな足立区綾瀬には、パワフルなママさん達が運営する団体「Shiny Mom’s」というママの、ママによる、ママのための団体があります。

この団体を知ったきっかけは娘の幼稚園のママ友さん。妻が仲良くさせて頂いているママ友さん2人が主要メンバーとして運営している団体なんです。

そして先日6月22日にはこの団体が企画運営している地域イベント「おとなとこどもの文化祭」が開催された。会館を貸し切って1000人以上の地域のママさん、お子さんが来場するという超大型イベント。このイベントに僕もブースを出展させていただきながら参加して、改めてコミュニティに属するということの価値を強く感じたのでここに記しておこう。

 

「ママ」と社会的役割と

 

先ほど紹介したイベントは、ママと子供のためのイベントである。出展する側も「働くママ」が多く、そして参加者は「親子でふらっと」気軽に参加できる場なのである。

僕は妻を見ていてもよく思うのだけど、きっと世の中のママさんって隠れた才能とか特技を発揮できずに、家の中に留めている人が沢山いるんじゃないかと。そんな人にとっては、こういったイベントでブース出展するというのは、社会との関わりを持てる絶好の場ともなるのだと。

僕の妻も子供を2人出産しているのですが、1人目の妊娠〜出産の時に僕が妻を見ていて感じたのは、ママは孤独との戦いでもあるということ。

仕事をしている時は嫌でも仕事を通して社会と関係している。社会から求められていることに取り組むから給料が発生するわけであり、出勤すれば仲間と挨拶を交わし、上司から仕事の指示が出たり、後輩からは相談を受けたりと、まさに社会的役割を担っている状態。それは非常にわかりやすいものである。

しかし専業主婦はどうだろうか?当たり前の大前提として、専業主婦をしながら子供を育てるのはめちゃくちゃ労力が必要で、とても社会的価値の大きな役割です。

だけど社会との関係が分断されたように感じる人も少なくはない。

家で子供と2人で過ごし、慌ただしくあっという間に時間が過ぎていく。

地元で同級生のママ友が何人かいるとかならば孤独感はまぎれるかもしれないけれど、結婚を機に住む場所を変えるママも少なくありません。

子供が小さいうちは話しかけても返ってくる言葉はなく、行く場所も限られてしまう。
自分と子供2人だけの狭い世界で過ごしているような、そんな感覚に苦しむママさんも少なくないのではないか。そんなことを思う。

そういった時に、地域にこのような「ママのための」イベントがあるというのは、非常に価値のあるもの。社会との接点であり、子供を連れて行きやすく、むしろ子供も楽しむことができるのだから。

大事なのは単発ではなく、継続的な場にしていくこと。
こちらの団体では年に3回ほどこのような大規模のイベントを開催していて、その貢献度は目に見えないところで非常に強靭なものだろうと思われる。継続することで顔見知りになり、お互いのことを知り始め、赤の他人同士が初めて社会的な関わりを結ぶ関係になっていく。

 

コミュニティは作られるもの

近年は「コミュニティ」という言葉があちこちで聞かれるようになった。
コミュニティづくり、居場所づくりというのは僕自身も非常に問題意識を持って取り組んでいきたいと考えている一つの概念である。

しかし忘れてはならないのが、コミュニティや居場所というのはそれを作ろうとして作るものではないということ。つまり本来的には他の目的があり、結果的に繋がりができた状態が「コミュニティ」であり「居場所」なのである。

 

目的が仕事であれば、それを遂行するために集まる人間はチームである。

しかし目的が用事であれば、それを楽しみに集まった人間はコミュニティである。

 

コミュニティを作ろうと集まれば、それはチームである。そうじゃなくて「味噌を作ろう」とか「日本代表を応援しよう」とか、そういったある種別の目的の結果、集まった人たちの繋がりがコミュニティとなるのだ。

コミュニティづくりには落ち度が必要である。未完成だからこそ、そこを埋めるという役割が必要だ。

そういう意味では、やはり地域の団体が作り出すこういったイベントは常に未完成であり、関わりしろが沢山ある。完璧でないからこその良さがそこにはあり、人と人とが関わり合う社会的役割というのはこういった余白にこそ存在するのである。

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA