勉強するほど分からなくなる“問題意識の変遷”

こんにちは。ささやんです。

最近は自分のキャパの小ささに気付かされ(元々わかってたけど再認識)、どうにかせんとな〜と思いながらも何も変えられない日々を過ごしております・・

4月から慣れない決算書類を作成し続け、また役員変更登記などpresentsの事務仕事に追われる日々。

それと同時にセラピスト向けセミナーや一般向けイベントの準備!先日も記事にした「おとなとこどもの文化祭」というイベントの内容構成や準備にも追われて、それらが終わった今やっとこうしてブログが書けるくらいの余裕を取り戻した。

決算書類は「重要だけどやりたくないこと」

プロに任せれば良いという意見は自分でも分かりますが、自分への勉強の意味も込めて自力で作成しました。おかげで財務諸表もある程度読めるようになりました◎少しね。

通常のクリニックでの業務に加えて、法人の事務仕事をしながらイベントの準備をして〜っていう何重にもタスクが重なると、それ自体はなんとかなるのだけど“自分の心”と向き合う余裕がなくなってきます。進んでる方向が合ってるのか分からない中でもひたすら前に向かって走る!!みたいな。これはよろしくない!!

ということで余裕が生まれた現在、こうして記事に残しながら自分の心と向き合っていきたいと思ってるわけです。

将来君はどうなりたいんだね?

そんな質問をされると、いつも明確な回答を返せない悩める32歳の僕ですが、昔は明確にありましたよ。

小・中学生の頃の僕は、将来の夢は「車掌(親の影響)」「建築家」「学校の先生」であった。まぁありきたりだけど、全然今とは違う仕事。でもこれらの職業に対する興味は今もあるんですよね。こうやって思い返すと昔から“空間”とか“子供の教育”というものに興味があったんだなぁと気付かされる。

高校生になり、やっぱりバスケが好きだから一生バスケに関わって仕事していたいと思いトレーナーを目指していた。

でもアスレチックトレーナーになりたかったけれど、周りの大人たちと相談したり、また自らも実際にお世話になった経験から理学療法士を目指すことにした。理学療法士になってトレーナー活動をすればいいと思っていた。

そしていざ理学療法士になってトレーナー活動も同時に始めて、臨床現場とトレーナーでのスポーツ現場をどちらも経験すると、臨床で大切なことは「その場での変化よりも、根本的に症状の原因を解消すること」であり、スポーツ現場では「とにかくその場でチームの要求に対して最善の結果を出すこと」であると感じた。また対個人と対複数人という違いもある。その相反するような価値観の中で(本来はこんな単純な二元論ではないですよ)、僕は個人の深い部分から関わっていくことに興味を抱く(価値を感じる)ようになった。

こうして高校生の頃から憧れていたスポーツ現場よりも、「人間」についてもっと深く知りたい!と思うようになり、トレーナーの道は進まない決断をした。僕は治療家の道を進もうと思った。まぁトレーナーは自分の適正ではないとも感じた部分もある。身体つきも痩せてるし、スポーツ選手としては大した実績もない自分にはレッドオーシャンだなと。

 

こうして臨床家として一人一人の身体を細かく見ていきながら「何が原因か?」を追求していくと、人それぞれ様々な身体機能の問題などが見えてくるようになった。原因が分かれば治療もできる。そんな単純な考えも束の間・・

その原因と思われる問題は、何が原因で起こっているのかね?

そんな問いが聞こえてくると、結局僕らが「治療」と称して相手に介入していることは本当に表面的な一部なのだろうと考えさせられた。

もっともっと深く、個々の生い立ちとか生活背景とかにも関心が向くようになってくると、人の健康にはそれはもう様々な問題が複雑に絡んでいると思い知らされた。

それは「身体」だけを見ていれば解決できる問題でなかったりもする。健康格差は収入格差でもあり、収入の少ない世帯の子どもは虫歯や肥満などにもなりやすいというデータも出ている。また高齢者にとっては身体のこと、心のこと以上に社会的な人との繋がりが健康に影響すると知った。

また生活習慣病は胎児の時の環境でもリスクが増えるという報告もある。近年では子供の体力低下も懸念されている。本当に生まれる前から様々な因子が人の健康に関与しているのだ。当たり前のことだけど、知識を追い求めすぎてしまえば、それにまた一周回って気付かされるのである。

 

原因が分かれば治療ができる?

原因が分かれば予防もできる?

じゃあこりゃどげかせんといかん!!

 

そんな単純な考えのもと、予防としての活動(身体のことや居場所づくり)に関心を持ち、NPOでの院外活動を開始した。

 

しかし広い角度から「健康」を損なう因子を知ってしまった以上、、

 

ぬぉーー!じゃあどうしたらええんやぁぁぁぁ!!

 

って悩んだりしてしまっているのが現在の僕なわけだけど、そこは「身の程を知れ!!!」っつー話でもあるのだね。

 

社会から求められるものの中で僕に出来ること、やりたいこと、それを照合させながら進むべき道を決めなければならない。

深く勉強すればするほど分からないことが増えるだけ。その都度自分の進むべき道を変えていてはブレブレの人生に弄ばれるだけ。

僕はスーパーマンでもなければ、どんなポジションもこなせるユーティリティプレイヤーでもない。ただのリハビリの先生であり、身体の専門家である。政治に興味がないわけではないけれど、政治家になりたいとは現時点では思わない。

つまり僕が国の制度を変えることができるわけではない。全ての子供の発育のサポートができるわけではい。

自分にできることをやっていく。それとしっかり向き合わなければならないのだよ。じゃあ何をする!?

「将来君はどうなりたいんだね?」

HOPEと向き合う

臨床では患者さんのHOPE(希望)に基づいて身体や環境面などの評価をし、段階に応じた目標を設定して治療プログラムを進める。

これはつまり、ちゃんと望みを叶えるために計画的に物事に取り組み、常に自分の進むべき道を修正しながらHOPEを達成しよう!ということなのです。

そう考えれば、これは人生においても同じことが言えるだろう。

 

自分に何が出来るか?よりも

まずは「自分は何を望んでいるのか?」と自分の心と対話することがスタートラインである。

僕の10年間の理学療法士人生でのテーマは「人間に対する理解を深める」であった。その軸を持って様々な視点から人の健康を、特性を、人間という存在を知ることができた。

その都度その都度問題意識の変遷があり、トレーナーを目指していた自分はいつのまにか治療家を目指すようになり、そして今では地域に溶け込んで予防を仕掛けるプロデューサーでありたいと思うようになった。

勉強すればするほど問題意識は変遷する。それ自体は悪いことではないけれど、やはりそろそろ33歳にもなるのだし自分が登るべき山を1つビシッと決めて、その登山ルートを練らなければと感じる。

時間が経つのは早い。まだ32歳。もう32歳。

当たり前の基準を高めよう。

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