【奇才】おもさんとの会話から気付かされる
こんにちは。ささやんです。
僕の友人は変わった人が多いのですが(僕自身も変わってると言われますが・・・)、その中でも一際輝いている変わった友人がいます。
そう。タイトルにも書いた「おもさん」こと、尾森亮太くん。
同い年であり、地域も近かったので一緒に勉強会を始めるようになったことが、仲良くなったきっかけでした。
その後、彼は武道の達人である日野晃先生の元へと学びに行き、僕はオステオパシーの勉強を研鑽する日々。
お互い切り口は違えど、「感覚」や「意識」というテーマを掲げながら、それぞれの学びをシェアしあい切磋琢磨してきた関係でもあります。
彼を知っている人なら誰も否定しないと思うのですが、おもさんは相当な変人であり、それはもう「個性」という枠を超えてもはや「おもさん」という絶滅危惧種の、この世でたった1人しか存在しない種類の動物なんじゃないかと思える存在です。
先日も、おもさんからスリーマンスポジション(人間の発達過程における3ヶ月の時期の姿勢)から立ち上がるまでの動きの動画が送られてきて、そこからまた多くのヒントをいただけるやりとりがありました。
そこで、そのやり取りをここで共有させていただきますね。(その動画は容量が大きくて載せられないのですが)
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(動画の後のやりとり)

これのどのフェーズ、かつどこからでも力が出るように、というのがもっぱら取り組んでいる身体操作です。

前から言ってる「感じる」はこれが担保されてから取り組む方が確実なので、だいぶ僕の身体操作も構造化してきました。
しかしながら、実際には、その構造も不要なのですが、それは意識と関係します。ざっくり言えば、そのモードになれば、それが使えるし、それが最適なんです。
それを常に体現してるのが銀河系であり、この前のクラブであげた動画はそのモデルです。
超飛躍しますが、けっこう妄想してみると面白いですよ。


ですから、本来的に意識さえなければ、皆常に「そのモード」な状態で、強いわけです。
それに意識的に対抗して、敵うはずがない、というのがベースにある考えであり、価値観です。そこから意識の本質は何かと考えると、注意の矛先、ということになります。何に向かうか?ということをコントロールできる、ということが意識を扱う唯一の道ではないかと考えてます
そこを繋げるのに何かまた様々な要素が絡んでくるのでしょうか?


例えば火事場の馬鹿力というのがありますよね。
危機的状況に瀕した時には、自分で思ってもみない力がでると。
あれこそ、命を守るということだけに、自分が使われた結果として生じる現象です。ですが、自分では何をしたかが分からない。なぜなら、無意識だからです。
その事だけになる、ということ。日野先生はそれを本気と呼び、本来的に意識をする、ということはそういうこと何だと思います。
慣用的に使われている意識する、というのは、全て思い込みです。もちろんその思い込みでもパフォーマンスは変わりますけどね。


その時の状態は、集中度が高かったなどの量的な問題ではなく、質的な問題なので、集中された状態と集中しようと思う、は全く別物です。感情というよりは、譲れないものがあるといった感じですかね。自閉症の人なんかは、ミリ単位のズレなんかに過敏ですよね?拘りというものにくわえて、身体的なセンサーも過敏にできてるが故です。 僕らの場合は、それを能動的に設定することが出来ます。
例えば、宮大工の西岡常一さんは、木に触れば木の癖を読み取れた。それは本来的に自然物には独自の癖があり、それを認識した上でいかす技法をしなければ、半永久的に保存される神社仏閣を建立することは不可能です。代々の棟梁をついだという責任感と、素材をいかして、長くもつ社寺仏閣をつくる、ということだけがあの方の生きた人生ですから、そのことだけになり、その事だけは譲れないからこそ、入り込むことが出来たのだと思います。これは人間の意識のすごさです。単に能力だけ切り出して、すごいだの何だのは、下らない話であって、最も重要なのは、意識を素晴らしく使えた人もいるという事実ですね。
「そのことだけは譲れない」というものには、いつ出会うかは分からないのでしょうか?多くの人がその意識状態を経験できないのは、それほど譲れないようなものに出会えないのでしょうかね??

思ってできるものではない、というのが味噌で、思うとできるの間にある何か、例えば思い込みだったり、固定観念だったり、身体上のくせだったり、を取り除くということが稽古の本質です。
トレーニングは何かを積み重ねるのでしょうけど、稽古は逆ですね。稽古を介して、自分に気づく。それは一体何のためか?という点では色々あると思いますが、やはり美意識ですね。こうじゃなきゃいられない、というのは最強です。
ですから、まずはやるんであればこだわりを持つこと。一生懸命やることです。
それは幼児期はみなそうだったわけですから、皆出来るはずなんです。意味持ち込むと、さまざまな邪念が生まれます。
例えばバスケが上手くなりたい、というのも純粋にそれだけ取り組んでも、チームメイトと上手くやらなければなりませんし、監督に気に入ってもらう必要もあるでしょう。
上手くなる、はいずれ相手に勝つになるし、チームメイトに彼女が出来れば、モテたいという気持ちも生まれますよね。うまい後輩が入ってくれば、いじわるするかも知れない。
上手くなりたい、ということだけで始めたとして、その事だけにはなかなかなれずに、煩悩に振り回されてしまうものです。そこいらを取り除く、というのが稽古の本質です。
「身に気付くワークショップ」でやってることも、癖に気付く→それを治せないのが気持ち悪い というだけで取り組んでいる気がします。目的もなくただただ、できない自分が「気持ち悪いから」でした。それが本来的な「そのことだけは譲れない」であり、意味を持ち込まない取り組みですかね。


例えば、僕がデモを見せて、それが出来るようになりたい、と始めたとして、ささやんのように出来ない自分が気持ち悪い、と感じる人もいます。
理解できないことにパニックになる人もいるでしょうし、無理やり納得しないと気持ち悪い人もいるでしょう。
よく観察して、敏感な人なら、この出来たの水準が高くならざるを得ないので、長い時間を稽古に費やします。
その期間に見つけた発見や、気づいたことというのは、例えば自身の癖であったり、何かしらの原理かも知れない。
発見した癖で、自分自身を省みたときに、癖の背景にある固定観念に気づくかも知れない。
その固定観念に対して、気持ち悪いと思うならば変えずにはいられませんよね。
でも、それは大変な労力が必要なわけです。
だけど、そうするより他ない、というのは他ならぬ美意識のためです。もちろん、美意識だけではありませんが、文化と呼ばれるものの底流にはこの美意識があります。文化の美意識も色んなしがらみに毒されているものがほとんどですが。
身に気づく、ということそのものが対話であり、究極的には自己対話しかありません。
何を、誰を介して気づくか、ということはありますから、誰と出会うかは重要ですが、結局は問いを自身に向けるというのが実際的に必要なんです。
対話の種になるのは感覚であると思いますし、しかしそこへの気づきを促せるワークというのは中々見かけないのが現状ですよね。頭の中ですべて解決してしまっている・・
やはり「身に気付くワークショップ」というタイトルは言い得て妙ですね。
自分の美意識に気付くには、自分の日頃の行動を振り返り、自分の感情や違和感などと照らし合わせることで気付いていくものなのでしょうか?


美意識は、何かを守る、という動物に備わった機能の延長だと思ってます。なので、基本的には皆それぞれに持っていると。ですが、前記したように様々なしがらみの影響を受けて、分かりづらくなっているのだと思います。
なので、ささやんが言うようなアプローチは、自分の性質を知る上で大事です。ただし、今日の日常というのは、命や生活の危機に直面しながら送っている人は日本にはあまりいないので、半ば無意識的に生きれてしまいます。そうすると、何から振り返っていいか分からず、違和感すら感じ取れない、というのがほとんどだと思います。なので、自分自身を何かしらの型にはめる。それが誰かに教わるでも、教材を購入して取り組むでも、参禅するでも何でもいい。既存の道に自身を当てはめたときに、必ず型にはまらない部分が出てくる、それが自身であり、そこと向き合うことによってしか自分は作れないということになります。
語彙力がなくて申し訳ないですが・・この文章からまた自分を見つめ直すヒントを与えてもらえたように感じています!なんかもっといろんな人におもさんの言葉が届くようにしたいです。


多分、どんな悟りもゴミみたいなもので、相手の問い次第でゴミが宝物になる。役に立たなければゴミというスタンスを貫けば、自ずと「相手に」ということが最優先事項になるので、常にそう出来るように、が今の課題です。煩悩出まくりですよ。
このやりとりを読んで、何かしら気づきを得た方はいますか?何のことだかサッパリでしょうか??
やりとりの中にもありましたが、このやりとりは「ささやんの問い」と「それに対するおもさんの言葉」で生まれているので、もちろん私ささやんにとっては非常に気づかされることの多いありがたいものでした。
しかし僕以外にもこの文章を読んで、何かしらの気づきを得る人もいるのではないか?
1つのことを徹底的に深く取り組むおもさんだからこそ、これまでに様々な気づきを得たのだと思います。そういった真摯な取り組みがあったからこそ、相手の問いに対して、関係の中で言葉が出てくるのではないでしょうか。
そんなおもさんを講師に迎えた「身に気づくワークショップ」ですが、次回は8月25日に開催致します!
身に気づくワークショップって何をやるの?という質問が浮かぶかと思うのですが、僕が平易な言葉にて紹介すると
自身の身体や思考の癖に気づく
上記の動画も正直「ヤラセ」のように見えますよね?
武道の達人のような動画です。
これは武道の達人である日野晃先生を師とする理学療法士のおもさんであるからこその「力を作用させる」を体現したもの。
このような機会は大変貴重ですので、ぜひご参加いただけたらと思います。
このワークショップに参加することで得られるものは「相手に治療を作用させることのできる技術」ではありません。そんな一朝一夕で身につくもののはずがありません。
得られるのは「自身の課題」であると思います。100人いれば100通りの課題が浮き彫りになる。そんな「自身の成長のため」のワークショップになります。
ご興味を持たれた方、ぜひご参加いただきたく思います。
身に気づくワークショップ案内ページはコチラ
おもさんの師である日野晃先生の動画も紹介しておきますね。
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