頭の中と実際と〜骨盤セミナー後記〜

先日、北千住で専門職向けの骨盤に関するセミナー(勉強会)を開催した。

このセミナーは6〜7年前くらいから不定期で開催しているもので、徐々にアップデートしている。アップデートというのは最新知見を入れるなどをして内容を変化させているというよりも、内容は変えずに自分自身の変化に合わせてアレコレ工夫を加えて少し構成を変えているという感じ。

知識を学ぶというよりも実際の身体に対する検査の感触とか触った質感とか、骨盤に限らずヒトの身体を診ていくうえで共通する大切なこと、「具体的な感覚」を骨盤という切り口でお伝えしているセミナーである。

セミナー構成上、勉強したことのない人にもある人にも、同じように飽きずに取り組んでもらえるように基本的な知識の伝達のみならず、実際の関節や結合組織の評価・治療を中心に進行した。

昔は「知識」をまずはお伝えすることをメインにしていた。本を読めば書いてある知識も、そう言った知識がない参加者が多ければ必要だと。

しかし最近は昔と違い情報が溢れている。基本的な知識というのは参考書や文献はもちろん、誰かのブログを読めば書いてあるのだよね。
それなら僕が伝える必要もないし、それを内容に組み込んだところで「そんなのブログに書いてあるし知ってるよ」となるわけで。すでに聞いたことのある、どこからか引用してきた知識を長々と講義をされることほど、淡白で味気ないものはないでしょ。

こんな時代だからこそ、いつでも簡単に情報が手に入る時代だからこそ、人が集まった場では机上の知識をシェアすることよりも、実際にお互いの身体を触りながら検査の感覚を掴んでいく。自分の感覚で実際の具体的な質感を知る。そんなことに重きを置きたいというのが僕の考えである。

ということで今回のセミナーでは、文字上では学ぶことのできない「触った感触」にフォーカスしながら、実際の検査や治療技術の練習時間を多めに取ろう!という意気込みで内容を構成した。(いつもそうだけど)

 

情報が溢れる時代の落とし穴・・・

 

そうして序盤に軽く講義をしてからは、あとはずっっと実技体験!骨盤の検査・治療を行なっていきました。

骨盤には仙腸関節という数ミリ程度しか動かないとされる関節があります。仙腸関節とは「仙骨」と「腸骨」と言われる骨の作り出す関節。仙骨は英語で「sacral」と書き、その語源はラテン語で「神聖な」という意味なんだそう。。とても神秘的な意味を語源に持つ謎に包まれた骨であり、関節なのである。

この関節は動きが小さく、現代医学では不明な点も多い。そのため医療の世界では検査方法などあまり詳しく学ぶことがありません。だって映像では動きが確認できないし、屍体で動かしても全然動かないんだもんね。

だけど徒手療法の世界ではやはり重要視されるのがこの部位。僕はオステオパシーというアメリカ発祥の徒手療法をずっと勉強してきていたので、この関節に対する検査法や治療法も知っていルシ、実際の臨床場面で驚くような効果を経験することも少なくない。(この部位の治療が驚くような効果を発揮するというより、適切な検査の結果治療をしてみると・・・ということね)

「そんなこと言っても、仙腸関節の知見ってまだまだ解明されてないんでしょ?」「そもそも本当にそれは仙腸関節の検査・治療なの?」という声も聞こえてきそうなので、厳密に言いかえると「仙腸関節の検査・治療と徒手療法の世界で概念化された方法」とでも言い換えましょうか。(逆にややこしくなるけど、一応誠意を見せてこの表現!)

とにかくセラピストの主観的な指先の感覚に重きが置かれる、とても繊細な検査・治療部位であるのだよ。

 

医学は客観的事実としてデータを構築できる科学をベースに成り立つので、なるべく主観を排除しようとしますよね。

医師の処方する薬や注射などは「普遍のモノ」を用いるので再現性の高いエビデンスが構築される。そして結果的に現れている症状に対して作用するものである(いわゆる対症療法だ)から、これまたわかりやすい因果関係が得られやすい。

しかし僕ら理学療法士が相手にするのは患者さんの肉体であり、心である。そして僕らのアプローチもまた不確定要素の集合体ともいえよう、複雑系の「セラピストそのもの」なのである。

つまり一般的な医学として成り立つのは「症状(検査値)」に対する「薬剤(化学的な成分)」などの、科学として扱いやすい単純な因果関係。

僕らの提供する医療は患者さんの「訴え(HOPE)」に対する「理学療法(運動・徒手・生活指導など多岐にわたる)」という複雑×複雑のスーパー複雑なのである。これが人と人とが直接関わるということ。

この「複雑×複雑」に切り込んでいくのに必要不可欠なのが「感覚」である。

感覚というのは「今、ここ」に現れる唯一無二の具体的なものなのだね。
科学的に数値化できるのは結果的なものであり、数字で表現されるものは「今ここ」とは異なる抽象的なもの。よく「数字こそが唯一の具体!」と勘違いされている方もいるけれど、数字というのは抽象である。置き換えているわけだから。具体とは「今ここ」の感覚できる「ソレ」なのである。

もちろん科学を否定しているわけでもないし、数学は本当に奥深くて面白い。奥深すぎて僕は全く詳しくないけど。抽象的な数字から方程式を作ったり、色々な摂理を解明していくこともできるわけで、それらは医学は勿論、科学の発展に大きく貢献してきたやり方。

だけどね、やっぱり僕らは人間なわけで、主観を外すなんてことは出来ないわけで、常に具体的に目の前の人と関係している職業なのだよね。

 

なんだか前置きが長くなったけど、、

だからこそ、机上の方程式とか抽象的なデータとかネットで拾える知識よりも、「今ここ」でしか伝えられない「具体的な感覚」を皆で感じながらワイワイ勉強したいし、それをする必要性を感じているわけなのさ。

 

しかし、しかしながら・・・

 

そんな僕の希望や思惑は見事にすっぽかされたように、なんか難しそうな顔をして退屈そうに実技をしている参加者がチラホラ。お金と時間を使って一体何をしに来たのやら・・

 

「よく分からない」から「つまらない」

きっと彼らはそんな風に感じているのではないだろうか。頭の中で理解することに慣れ過ぎてしまった。頭の中と実際は異なるということを知らないのではないか。

「よく分からない」が「ちょっとわかった」になり「わかる」になる。その過程が人生の楽しさでもあると思うのだけど、頭の中で方程式が矛盾なく繋がることに楽しさを見出してしまう人がなんと多いこの現代。情報が溢れすぎ、頭の中で生きる時間が多くを占めすぎてしまった。

この情報社会で論文やら書籍やらネットやらで常に情報にアクセスできる時代になると、勉強とは頭の中で行われるものになってしまう。

僕らにとって大切なのは、頭の中でストーリーを描くことでもなければ、引き出しに知識を蓄えておくことでもない。

 

今この瞬間をしっかり感じ取り、そして自ら行動すること。それがその人の実力であり、ごまかしがきかないものなのではないだろうか。

 

情報社会になると頭の中で生きている人が多くなる。ハッタリかましていても、具体的なことになると途端に実力かが露呈してしまう。

僕らは常に今を全力で生きていくことでしか、実力は高められないのだろう。

そんなことを感じたセミナー後。
やり方、伝え方を変えていく必要性も感じるよね。

 

昼飯を食べに行った時に見つけた貼り紙。この炎天下で致命的!

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