抑圧に気付く
もう何十年も頚肩部痛に悩まされている50代の女性患者さん。既往歴を聞くとDVで膝を怪我したなどの話もあり、心理社会的要因が複雑に絡んでいる可能性があるような印象を最初に受けた。
表情も常に硬く無表情といった具合。身体に触れると頭蓋も脊髄硬膜もキンキンに張り詰めていた。(本当にそうなのかと言われれば、オステオパシー的な触診の評価でそう判断しているとしか言えませんが、とりあえずここではそう表現します)
脊柱支持機能の弱さがあるので、発達運動学に基づく運動療法を提案していく。また徒手的にも頭蓋〜脊柱をアプローチしていった。
介入していくにつれて、楽になってきたとは言われていたものの、どうも緊張は取りきれない。表情の硬さも相変わらずである。身体に触れていると、どうも胸骨あたりを固めているような印象を受ける。心理的に何かを抑圧していると胸骨は硬くなるというような話を昔オステオパシーのセミナーで聞いたことがあった。そんな話を思い出させられるように、この患者さんの様子は何かを抑圧しているように伺えた。
ふと僕の口が開いた。
「何か言いたいことを我慢していませんか?」
すると短く「はい。」とだけ答えて、その患者さんは涙を流し始めた。それ以上僕は言葉を足さなかった。
そんなやりとりが前回あり、そして本日その患者さんが来院した。表情はどこか柔らかくなっており、「もうスッカリ首は良くなりました」と仰っていた。
身体に触れてみると、胸骨の硬さはなくなっており、頭蓋〜脊髄硬膜の緊張も先週より一気に和らいだように感じた。
「良いですね。あとはまた運動を継続していきましょう」そう伝え、もう少し経過をみながら関わらせてもらう方向になった。
なにが良かったのか?科学的に考えればそれは測れないし分からないのだろうけれど、あの涙の理由はきっと患者さんが抑圧し続けた何かであったのではないかと察する。
臨床現場は対人での関わりである。であるならば、相手の様子をよく観ること。知識を先行させるのではなく、根拠はなくとも感じたことを先行させる。そんな関わりも必要な場面は沢山あるだろう。
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