健康とは何かを考える〜主体的に自分の人生を生きるとは〜

健康って何だろう・・?

僕が理学療法士になって、数年が経過した頃から漠然と考えてきた問いです。

WHOには定義があります。
世界保健機関憲章前文 (日本WHO協会仮訳)より引用すると

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。

(〜中略〜)
子供の健やかな成長は、基本的に大切なことです。
そして、変化の激しい種々の環境に順応しながら生きていける力を身につけることが、この成長のために不可欠です。
健康を完全に達成するためには、医学、心理学や関連する学問の恩恵をすべての人々に広げることが不可欠です。一般の市民が確かな見解をもって積極的に協力することは、人々の健康を向上させていくうえで最も重要なことです。
(以下略)

まぁよく分からない。けれど、書かれているのは
「健康って単純に病気じゃないとかそういうことだけじゃないんだよ」っていうこと。
「子供の成長は、環境に適応しながら生きて行く力を身につけることだよ」
「健康の達成のためには、みんなの力が大切だよ」

っていうこと。

もう何が何だかよく分からない。

そこで僕の考える「健康とはなんだろうか」という雑感を綴ってみようと思います。読んでいただくとWHOの定義についても納得できるようになるかな?

健康と病気

WHOの定義では「健康ってのは、病気ではないとか、弱っていないとかいうことではなく・・・」と書かれている。

つまり「病気でない=健康」ではないということだ。この意見には僕も大賛成である。
だって疾患を抱えていても幸せを感じながら生きている人はいるし、そう言った人を「不健康だ」などとは微塵も思わない。

逆に病気でなくても、常に不平不満を抱えて生きている人を見て「健康そうだね!」とも思わない。

つまりWHOの定義に賛同する形であるが、単純に「病気でない」とか「弱っていない」とかそういうことじゃなくて、心理的なあり方とか社会的な役割というものが「その人らしい人生」を作り上げていて、幸せを感じながら生きている人は「健康そうだ」と僕は思うのである。

そこで健康とは何か?を個人的意見で一言で表すならば「主体的に生きている状態」であると現時点では定義したい。

だから病気を抱えていても、その病気を受け入れ上手く付き合いながら自分らしく生きている人は「健康である」と感じるし、いくら肉体は弱っていなくとも自分の人生に不満を持ちながら生きている人は不健康であると感じる。

先日、POSTというリハメディアの吉藤オリィさんのインタビュー記事でこのような言葉が書かれていた。

障害とは何かというと、自分のやりたいという意思に対して、どうしても自分の力だけでは乗り越えることができないハードルが存在している状態です
(POSTインタビュー記事より引用)

このオリィさんの「障がい」の定義は僕の中ではしっくりくる。
だけど先ほども言ったように、「障がいを抱えているかどうか?」と「健康かどうか?」は直接的にイコールではないのだ。
「障がいを抱えている=不健康」ではない
「健康な人は障がいを抱えていない」わけではない

障がいを抱えながらも健康な人もいるし、障がいを抱えていなくても不健康な人はいる。

大切なことはやっぱり、自分自身が今の状況・立ち位置を受け入れた上で、自分の人生を主体的に生きていくということが、健康的であると思うのです。

主体的に生きるとは、自分の人生の選択を自らが責任を持って決定しているということ。自らが立ち位置や状況を把握し、進むべき道を自分で決定し、人生を歩んでいるということであると思うのです。

なにか目の前に困難や不幸が舞い起こった際に「これも自分で選んだ道であり、挑戦だ」と向き合うか「なぜこんなことになるんだ。社会が悪いからこんな目に遭わなければならないのだ」と不満を口にするか?

そんな思考回路の違いが「健康かそうでないか」という一つの基準にもなるのではないかと考える。障がいを抱えていても健康な人はいるのです。

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