足立区の治安の理由〜歴史と社会的背景から読み解く〜

こんにちは。足立区でNPO法人の活動をしています。ささやんです。

人間の健康を考えた際に、その社会背景の影響は切っても切り離せないもの。特に住んでいる地域なんかは、生活への影響も大きいですし、マクロな視点で人間を理解する上で様々な気づきを与えてくれます。

そこで本日は僕が現在住んでいる足立区について、その歴史や社会背景について簡単にまとめて紹介しようと思います。

足立区と聞くと未だに「治安が悪そう」というイメージを持たれる方も少なくないでしょう。

なぜ「治安が悪かった」のか?
悲しい事件が過去に発生していた社会的背景などをお伝えしながら、「地域」と「人」との関係を少し考えるきっかけになればと思います!

 

「その地域」と人

皆さんは地域によって、そこに属する人の雰囲気がなんか違うな〜って感じたことはありませんか?僕は子どもの頃からそれを感じていました。

僕は横浜市の若葉台という田舎に住んでいたのですが、バスで十日市場駅と青葉台駅をよく利用していたのです。

十日市場と言ったらそりゃ当時は「天下の十日市場中学校」と言われるほど、荒れまくった地域。それに対して青葉台は、プチマダム気取りの人が集まる清潔感ある田舎の都市といった雰囲気でした。

なぜ地域によってここまで住む人の雰囲気が違うのか?それは僕が子どもの頃から自然と発生した疑問だったのです。

昨今ではよく「港区女子」なんていう言葉も一般的に使われるようになりました。
マツコデラックスさんの番組などでは「蒲田っぽい」「小岩ウケる!」「竹ノ塚ヤベェ!!」などの声もよく聞かれます。

NAVERまとめ(https://matome.naver.jp/odai/2150357246361084501/2150357785163991703)より引用

なぜ足立区はこのようなネタにされやすいのか?
なぜ治安が悪いイメージがあり、過去に多くの事件が繰り返し起きてしまったのか?

現在は足立区在住の僕にとって、これは他人事ではありません。

これから少しそういった社会背景の解説をしていきます。

 

足立区の住人の社会的背景の歴史

足立区は東京都の北東部に位置しており、埼玉県と隣接しています。

今は北千住などの街も非常に人気があり、また荒川を渡った先の地域も住宅地ばかりで人口も多いのですが、昔は畑だらけの土地だったのです。(北千住は宿場町として昔から栄えた地域でした)

そもそも驚く人もいるかもしれませんが、昔は荒川はありませんでした。正確に言うと、現在の荒川は荒川放水路と言われており、度重なる水害から東京を守るために1930年に完成したもの。それ以前は下の地図にように、川は流れていなかったのです。
1965年に正式に荒川の名称になるまでは、現在の隅田川が荒川と呼ばれていたんですね。

北千住付近の地図。左:明治42年 右:現在 昔の地図には荒川がないのが見て取れる(今昔マップ on the webより)

 

荒川が整備され、水害も少なくなった足立区。
畑ばかりのこの地域に人が増え始めたのは、高度経済成長期なのです。

wikipediaより転載

一般的には高度経済成長期の時期は1954年〜1970年と言われていますが、その時期に人口が爆発的に伸びていることがわかります。

この時期に人口が増えたということは、ミクロにはどのようなことが起こっていたのか想像してみましょう。

まず足立区の人口が増えているわけですから、出生数が爆発的に増えているとかではなく「全国から人が集まってきた」と捉えるのが自然でしょう。

高度経済成長期ですから、仕事を求めて全国から人が集まってきたのです。
東京の中心部にはすでに昔からの江戸の住人が住んでいますから、土地が余っている場所を開発して、全国から集まる人が住めるように整備しなければなりません。周辺地域の開発がなされます。

 

さて、ここで一つ大まかな分類ができます。

・都心部(本来の下町含む):もともと東京に住んで働いていた人が住んでいる。
・ベッドタウン(足立区などの開拓された都内を含む):東京に出稼ぎに来た人が住んでいる。

すごくザックリですが、そんな風に捉えることもできるかもしれません。

また足立区は川も多いため工場も多いです。高度経済成長期には集団就職といって、全国から中学校を卒業してそのまま就職を目指して人が集まってくる時代でもありました。しかし都心部の大企業でサラリーマンになれるのは大学を卒業した人に限られます。

そこで足立区を中心とした町工場には中学校を卒業したばかりの出稼ぎに来た若い地方出身者や、首都圏出身者でも大企業に就職できない中卒・高卒の人が工場で働くことが多かったとのことです。

こういった時代背景、社会背景があり、足立区には「中卒の地方出身者」や「大学まで進学できなかった層」が工場で働くために居住するケースが多かったと考えられます。

 

核家族と孤立の問題

 

昔は3世帯で住む大家族が一般的でしたが、現代は核家族が家庭の主流になっています。
出稼ぎに来た地方出身者も親を地方に残してくるわけですから、東京周辺に住む家庭は核家族が基本単位となるのではないでしょうか。(集団就職のケースはそのまま寮生活もあったかもしれません)

そもそも昔ながらの戸建てと違い、この高度経済成長期に建てられた都営住宅などは核家族を想定した狭い間取りになっています。

住み慣れない地域で暮らし始め、さらに(特に女性や子供は)人付き合いも希薄で孤立しやすい状況にあったのではないでしょうか。

つまり
・都心部(下町):大家族であり、住み慣れた故郷に住んでいる=人とのつながりが豊かでコミュニテイが強い。
・ベッドタウン:住み慣れない地域で核家族で住んでいる=人とのつながりが希薄で孤立しやすい。

ということが当てはまるのではないでしょうか。

もちろんケースバイケースでしょうし一般化できませんが、大まかには考えられる現象ではないかと思っています。近所付き合いが希薄になれば、家庭内で虐待などが行われていても気づかれることもありません。下町に代表される近所付き合いの豊かな地域では、隣の人が勝手に家に上がってくるなんてことも日常茶飯事だったのでしょうが、そういった付き合いもなければ隣人は赤の他人なのです。

孤立と治安の悪化

高度経済成長期が終わったのが1970年。経済成長が止まったということは、何が起こったのでしょうか?

それは解雇や収入の減少、そして治安の悪化です。
貧困と治安は非常に関係の深いもので、貧困に陥ると不満などから暴動が起こったり、窃盗なども発生します。(大なり小なり様々な犯罪のこと)

また貧困などの逆境的な状況で生まれ育った子供達。
レッテルをはるような表現になってしまいますが(決してレッテルを貼っているわけではありません)、1970年代頃に生まれ育った人たちで、こうした工場の多い地域で育った人たちはかなり逆境的な環境で育った人も少なくないのではないでしょうか。

高度経済成長期の中でも母親は近所付き合いもなく孤立を抱えながらのワンオペ育児。
さらに経済成長の終焉から厳しい環境に追いやられた家庭では、家庭内の状況悪化も想像できますよね。

1980年代は校内暴力などの言葉が世間を賑わせていた時期でもあります。
厳しい時代に育ってきた子供達がちょうど中高生くらいの時期に、いろいろな事件や犯罪が起こってしまったのですね。

「治安が悪い」と言われる地域というと、どこの地名が思い浮かびますか?

「足立区」「川崎」「蒲田」「新小岩」などが挙げられるのではないでしょうか?
どこの地域にも、社会的背景があります。

川崎は京浜工業地帯があり、また暴力団事務所も存在
小岩は外国人が多くコミュニティを形成している地域
蒲田はその両方の性質を兼ね揃えたような特徴があるかもしれない

今回は足立区にフォーカスしていますが、足立区は先ほど紹介したような歴史的・社会的背景があり、治安の悪さが完成されていったと思われます。

足立区で過去の事件として有名なのは、コンクリート事件。その他にも1980年代は多くの校内暴力や残酷な事件があったことから、「足立区は治安が悪い」として、住みたくない街ランキングでも全国上位常連となったのです。

 

現在の足立区

では現在はどうでしょうか?
この高度経済成長期の時代に生ま育ったれた人も、もう40代〜50代。その時代にバリバリ労働者として働いていた世代は定年を迎えています。

実際に僕も足立区に移り住んで感じるのは、確かに歯がない高齢者や襟元から刺青が顔を出す高齢者は何度か見かけました。しかし彼らにも、もうそんな活力はありません。

僕と同年代の子育て世代の人は、やんちゃなイメージの人はそれほど多くはない。
千代田線に朝並ぶ人も、作業服を着た人よりスーツをビシッと決めている人の方が多いように感じます。

学校の学力も以前より高まってきているようで、学力テストの結果では学校によって差はありますが、中には東京都の平均よりも高い平均点の学校もあります。学校給食や図書館に力を入れているのも足立区の特徴。

「治安が悪い」と言われていたからこそ、防犯や教育に力を入れ始め、現代になり着実にその成果が表れているように感じます。

住めば都!現在の足立区は良いところもたくさんあると感じています。

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