思いやり・気遣い〜子どもはいつから自己中心的でなくなるのか?〜
こんにちは。ささやんです。
みなさんの周りには、自己中心的な人っていませんか?
・空気が読めない
・人の嫌がることをする
・相手の気持ちを汲み取れない
そういった方に対して周囲の人間はストレスを感じたりすることもあるでしょう。
また本人も人間関係が上手く構築できないなどの悩みを抱える人もいます。
ではなぜ、こういったことが起こるのでしょうか?本日はヒトの発達の過程から「自己中心性」というものについて解説します。
この記事を読むことで、あなたの周りにいる自己中心的な人に対してストレスを感じることも減ると思いますし、また子育ての中で子どもとどのような関わりを工夫すれば良いかを知ることができます。
子どもはみんな自己中心的
発達心理学的には、子どもはみな自己中心的です。
この段階での自己中心というのは、「自分以外の視点」というものが存在するということさえ分からない段階なのです。みなさんは「人それぞれ見え方や考え方が違う」ということは分かりますよね。
発達心理学の権威であるピアジェによると、ヒトは4〜5歳くらいまでは自身の視点では正確な認識が持てるけれど、他者の視点に立って物事を見る事はできないと言われています。これは異常なことではなく、健全な発達の過程で起こるごく自然なことなのです。
徐々に成長していくにつれて子どもは他者の視点で物事を考えられるようになり、社会性が育まれていくと言われます。(脱中心化と呼ばれます)
しかし結局は人間の認識というのはどこまでいっても主観から脱する事はできませんよね。「他者の視点に立てる」とは言っても、それはあくまでも想像の域を出ることはありません。いくら脱中心化といっても、他者の視点を想像しているのは自分であるということです。
つまり本来の意味で言ってしまえば、大人になろうがヒトは「自己中心的」な存在から抜け出すことはできません。
しかしこれは私個人的な考えですが、他者の視点に対する想像力というのはグラデーションのように存在するのではないかと考えています。
想像力は果てしなく
よくコミュニケーションの手法などに「共感する」というものがありますが、それらは表面的なくだらないテクニックであると私は思います。
もちろん表面的には良い面もあるでしょう。悩みを打ち明けてくれた友人に対して「うんうん。そうだよね。」などという共感している態度により、受け入れてくれたという安心感は一時的に生じるかもしれません。
しかしその反面「お前に何が分かるんだ」という想いも潜在的にはあるでしょう。
私には人間関係やコミュニケーションにおいて大切だと考える態度があります。
それは「相手を感じるのではなく、相手の感じているものを感じる」ということ。
相手を感じるというのは、自分の視点です。
相手の感じているものを感じるとは、相手の視点です。
例えば不機嫌そうな人を見たときに「不機嫌そうだな」と感じるのは自分の視点です。
「なんで上手くいかないんだろうなぁ」
「仕事に行くのが嫌だなぁ」
「本当にイライラする」
そんな心の声のようなものを感じるのが、相手の視点です。
このような「相手の感じていることを感じる」などということが本当にできるのでしょうか?
先ほども述べたように、人間は結局は自分の視点から脱することはできないのですが、どこまでも想像することはできるはずです。
俗に言う「自己中心的な人」というのは、この想像力を働かせることが苦手なのではないかと思います。「相手がどう見えるか?」も大切ですし「相手がどう見ているか?」も大切な問いなのです。
自分自身が想像力を駆り立てれば、それこそ自己中心的な人に対してストレスを感じることもなくなるのではないかと思います。
想像力は遊びの中で育まれる
では話を子どもに戻しましょう。
子どもが発達していく中で、どのような関わりが他者の視点を想像する力を育んでくれるものなのでしょうか?
それは遊びの中にヒントがあります。
例えば「かくれんぼ」という遊びは、自分が”隠れているつもり”でも、相手から見られてしまえばすぐに捕まります。かくれんぼで見つからないコツはいかに相手の視点を想像して、「ここなら見ることはできない」ということを想像できるかがポイントになるのです。
そして誰かの役割に没入しなければならない「おままごと」は、想像力を駆使して行う遊びです(ごっこ遊びは基本的に想像力が求められますね)
パパ役の子は、パパになりきって「パパが言いそうなこと」や「パパの生活習慣」などを演じるわけですから、そこには自分以外の視点が入ってきますね。
このように昔ながらの遊びの中には、子どもの成長のエッセンスが多分に含まれているんですね。遊びを通した関わりの中で、想像力を育てていけると良いですね。
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